こんばんは。ひじです。
昨日一昨日と、従姉妹・友人の結婚式に、奥さんと2人で参列して来ました。
人生の中でも、奥さんと一緒に参列できる結婚式なんて数える程しかないと思うため、とても貴重で有難いひとときだったなと思っています。
結婚式というものは、人生が詰まっているなと実感します。
両親のもとに生まれ、兄弟や友達と共に育っていき、学生時代の青春を駆け抜け、恋をして、社会人になり働き、家を出て、大切な人と巡り合い、結ばれる。
そんなプロセスを経て、親からの自立を迎えるセレモニーが、結婚式という舞台だと感じています。
そこには、ただただ主観の積み重ねと物語があるだけ。結ばれる2人の間には、重ねて来た2人だけの年月や毎日と、何気ない日々の積み重ねがあり、それはとても主観的な体験だと言えるでしょう。
人の心は、どこにあるのだろうか?
さて、少し話題は変わりますが、先日こちらの小説を読みました。
ノーベル文学賞作家の、カズオ・イシグロさんの著作、「クララとお日さま」
この作品の主題は、「心とはなにか?」ということだったと解釈しています。
舞台は少し未来の海外の世界。人と共生して生きる、知性と感情を持ったAIロボットであるクララと、ジョジーというある少女との生活の物語です。
Chat GPTをはじめとする生成AIが急速に進化するこの現代において、「人間性とは何か?AIに模倣できないものは何か?」という問いは、SFの世界の話ではなく私たちの近い未来(というより今でしょうか)に降りかかるとても切実なテーマに思います。
仮に、生成AIが今以上に発達し、自分の愛する人とそっくりな人工知性が目の前に現れた時、私たちはその存在を心から愛せるのでしょうか?
そんな問いに、心を巡らせていたここ1週間でした。
そんな時代だからこそ、僕は主観が大事だと思う
社会に適合して生きて行くためには、客観的な強みを活かして働くこと、社会の中で役割を見つけていくことはとても大切です。しかし、いくら優秀に機能したとしても、そこで機能する個人が喜びを覚えてなければ、それはただの機械の部品と一緒です。
便利で替えが効くだけの道具に、僕たちは果たしてなりたいのでしょうか?
主観を置き去りにして日々を生きることは、期せずしてAIに代替されてしまう未来を迎えてしまうように、人間性を大切にしない生き方のように思います。
そんなことは悲しいですよね。だからぜひ、主観を語り合いましょう。
主観対話会、ぜひご参加お待ちしています。
(現在おしみちゃんとの個別セッションです笑 それもまた一興ですが。)
https://beat-jp.com/events/44de799a78ec