認知的回避について改めて言葉を知り
自分の1番奥底に眠っている認知的回避から
感情や気づきを知っていくような過程だった
なあ。1番記憶に残る認知的回避はこれかな
なんとなくわかるような気がしたけど、そこ
からどんな気持ちだったのかどうして欲しかった
のか、じぶんがどうしたかったのか。深く入り
きれなくて困った。
BORで最初にだいちゃんとひじさんのかけあい
を見ていて2人がどんどん近づいてゆく、重なってゆく感覚を覚えて正直怖いと思った。
だいちゃんがなぜ怖いのかをリクエストして
くれて、自分は他者から見られるのが怖いと
思った。終わって振り返っても失敗したら
どうしようとかがっかりされたらどうしようとか
置いてけぼりにされそうとかそんなことが
よぎった。実際私の番になってひじさんから
問いかけをもらいながらゆっくり言葉をだして
いったけど、自分の声が聞こえなかった。
聞こえたけどなんか違うなあって思ってしま
ったり。相手の声じゃなくて自分自身の蔑む
声だったかもしれない。
近づきたいと思いながらすぐ離れていってしまう
感覚ばかりで内心焦りもあった。この時間
無駄にしたくないなあ、共にしてくれる相手の
期待に応えたい。そんなことも考えていた。
相手視点で自分の気持ちを決めてしまっている
のかもしれない。
振り返っていてあの教室の中でみんなより遅れて
工作してた私はおいてけぼりな気持ちでなんだか
自分だけ目立ってるみたいで恥ずかしかった。
周りに適応しないとそんな思いをしてしまうから
そうするようになったのかもな。
でも本当は自分のこともっと見てほしかったし
気にかけてほしかった。誰かが声をかけてくれる
のを待ってた気がする。
先生に手を出されるより自分で試したいことが
あったかもしれないし、自分のペースを守り
たかったかもしれないな。失敗しても恥をかい
てもどんな自分であれ見ていてほしかったのかも
しれないな。
情けない、気まずい、恥ずかしい、泣きそう
あらゆる感情がごちゃごちゃになってそこに
座ってたんだね。
今はあの時だけ少し自分の気持ちに寄り添えて
いるような気がする。
認知的回避の矛盾は他者ありきで考えてしまって
どんな反応があるかわからないから怖くて
動けない、動かなくなってしまう。
けど本当は自分のことを見てほしいし、どんな
振る舞いをする自分も受け取ってほしいという
ところにあるんだろうか。
自分の足で表現しにいく。
自分の足で出ていかないと押さえつけてる
自分から前に進めないなと感じた。

2025/05/31 18:42