【何を感じたか?】
・『人生は思い込みによって出来ている』ということ。
・問いの力の凄まじさ。ファシリテーターである肘さんからの問いによって自分の奥の奥にある認知的回避に近づけた。
・今振り返って、BORに分かれた後、おしみに先に時間使ってほしいなって思った。俺はおしみと比べると短い時間で認知的回避や感情に気づけそうだから。(良し悪しじゃないよ。)
・認知的回避は自分そのものだなぁと。良い悪いはなく、自分が長い時間もっていたもの。これからも何度も向き合っていくんだなぁって感じました。

【何に気づいたか?】
・「自分はひとりぼっちだ。」自分の中の核心に近い認知的回避。
・自分の中に強く絶対的に正義が存在すること。
・その正義を作り出したのは、この世界でただ一人の、ひとりぼっちの自分を守るため。誰に理解されなくても、自分だけは自分の正義を貫き通すことで、なんとか自分ひとりで自分を守って生きてきた。←楽をしていたと感じる。
・自分の中にある正義をどうしたいのか?
自分がどんなことを『正しい』と感じているのかを知りたい。
自分の『正しさ』を人にぶつけたい。ぶつけることでその人の正しさを知り、その人の中にも正義があることを実感したい。
・自分の中にある(認知の?)矛盾
「自分はひとりぼっちである」という思い込みと、自分の正しさが他者の正しさであってほしいという願望
・この矛盾の中に含まれているのは何か?なぜ矛盾が起きているのか?
本当は自分の正しさを共有したい・わかってほしい・自分の正義を知ってほしい。
けれど分かってもらえないと諦めている。これまでわかってもらえる経験が少なかったから?そもそも伝えてこなかったから?
自分の正しいと思うことはただひとり自分が正しいと思っているだけであって、それは人から見たら間違っていることである、という思い込みがある。
自分の正しさが誰かの正しさであってほしいけれど、違ったときにとても寂しいのでは?
自分の正しさが『人にとっても正しい』と信じたいのでは?間違っていると認めたくないのでは?間違いだと気づくのが怖いのでは?
何かを避けるために「自分はひとりだ。だから自分の正義を分かってもらえないのは自然なことなんだ。伝える必要はないんだ。」だという認知を作り出している。
ように感じる。

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書いているときに出てきた言葉:正しさの共有・互いの違いを認める・正しさも間違いも本当は存在しなくて、それ自体が自分がつくった思い込みなのでは?・『正しい・間違ってる』『〇か✕か』という判断基準を作り出したのは、幼少期の勉強か?個々人の正義はあるけど個々人の正しさはない?『〇か✕か』の判断基準があるから、人の考えや価値観や行動や感情に対しても〇と✕があって、〇は受け入れられるけど✕は拒絶したいのでは?自分にとっての『〇』に対して、人から『✕』を突き付けられることを、とても恐れている。自分自身が否定されたように感じる。

【これからどうするか?】
・自分の中に正義が存在するように、みんなの中にも正義が存在することを認める。
・自分の正義とみんなの正義が別の形をしている可能性を認める。
・「今から伝えることは主観(自分の正しさ)である」という前置きをした上で、自分が感じることをそのまま伝える。
・自分の主観を伝えた後に「あなたは何を感じる?どう思う?」と、相手の主観を問う。